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2020.1.27 / 学校生活 /

放送礼拝 加藤先生

聖書 新約聖書p425 ヤコブの手紙4章3節

 私たちは毎日の礼拝で神様に祈りを捧げます。今朝は祈りの答えについて考えてみたいと思います。子供が親に何でもお願い事をするように、私たちも父なる神に祈りの中で様々なお願いをします。先生は祈りのノートというものを書いています。ノートには仕事に関することや個人的な事柄のお願い。また、家族や友人がイエス様を信じて救われますようにという身近な事から、災害や紛争で苦しんでいる方々の慰めを求めたり世界平和を祈ったりと、スケールが大きい祈りもあります。

 ノートには祈りの課題を書き、それに対して神様がどのように応答して下さったのかという過程と結果も簡単に記しています。もう、何冊にもなりますがその祈りのノートを見ると、自分の人生やその年に起こった出来事を思い出し振り返ることができるので感慨深いです。何より、どのような時にも神様が共にいて下さり導いて下さったことを実感できることが嬉しいです。

 しかし、すべての祈りが叶うわけではありません。結果的に叶わなかった祈りや神様がまだ、応答してくれない祈りもあります。それに対して、あんなに一生懸命祈ったのになぜだろう?と考える時があります。神は本当にいるのだろうかという疑心暗鬼を生じたこともありました。そこには神様のご計画があるので、人間である先生には分かりません。聖書の箴言19章21節にも「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」という言葉もあります。しかし、理由の一つとしてヤコブは今朝読んだ御言葉をあげています。「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」この御言葉は今年の1月8日に先生方の研修会があったのですが、その講師としてお招きした先生が講演の中で語られたものでした。その先生は山梨英和と同じ女子校のミッションスクールで、北海道の函館にある遺愛女子中学高等学校の福島校長先生という方です。

 この御言葉を聞いて気づいたことは、願いが叶うとか叶わないとかということよりも、創造主である神は私たちのすべてをご存じであるということ。つまり、私たちが自覚していないことでも、神は心の奥底の隠された思いまでも、すべてお見通しなのだということです。私たちは自分の行いや願いが純粋で真実なものとして祈り願います。けれども、純粋な思いで祈ったことでも実は、別の動機が隠されているかもしれません。神様はそれをご存じです。叶えられた祈りよりも、むしろ、叶えられなかった祈りの中に真実があり、自己と向き合い悔い改めるチャンスがあるのではないでしょうか。

しかし、祈りがきかれず自分の思い通りにならないことを現実として受け止めることは大変、辛いものですね。この礼拝の終わりに際し、ある本の一節を皆さんに向けて紹介したいと思います。聞いて下さい。「すべてが自分の思った通りになれば、結局、自分が思っている程度の人間にしかなれません。思った通りにならないからこそ、ときどき思いがけない試練がやってくるからこそ、自分の想像をはるかに越えて成長することができるのです。」

 これは片柳弘史さんという山口県にある教会の神父様が書いた本の一節です。タイトルは『こころの深呼吸』といいます。片柳神父がSNSで発信して、5万超のフォロワーに共感されたつぶやきを書籍化したものです。もう一度読みますね。「すべてが自分の思った通りになれば、結局、自分が思っている程度の人間にしかなれません。思った通りにならないからこそ、ときどき思いがけない試練がやってくるからこそ、自分の想像をはるかに越えて成長することができるのです。」皆さんはどう思いますか?

 今朝、心にとめてほしいことは二つ。神様は私たちのすべてをご存じであること。そして、私たちの祈りがきかれない時、思い通りにならず落ち込む時は自分自身と向き合うきっかけとなります。そこには自分の思いをこえた何かが待っているかもしれないということです。どうか、それが皆さんの成長につながるようにとお祈りしています。

 

お祈り

愛する天の神様。あなたの御名を賛美します。今朝も放送を通して礼拝を守れたことを感謝します。暖冬といえども寒い日が続いています。神様が私たちの健康をお守り下さい。神様、私たちの願いばかりの祈りをいつも聞いて下さり、感謝します。願い求める心が神様の御旨にかなったものとなりますように。私の思いでなく、神様の御心がなりますようにという謙虚な思いで日々の祈りをあなたに捧げることができるよう導いて下さい。この祈りを主の御名によって御前に捧げます。アーメン。

 

 

 

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