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2020.9.07 / 学校生活 /

放送礼拝 剣道部

テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 51618

私が剣道と出会ったのは今から10年前の小学2年生の時、両親が自分の身は自分で守れるようにと、私に武道を勧めてきたことがきっかけです。その当時私には空手か剣道という2択が与えられていました。

最初に私は空手の体験に行きました。しかし、その体験で私は大きな壁にぶち当たることになりました。それは、準備体操の1つに柔軟があったことです。保育園生の頃から異常なほど体が硬かった私にとって、柔軟は地獄の時間でした。体験の序盤にも関わらず私は心が折れてしまい、空手は無理だと確信しました。

続いて剣道の体験に行った時、先輩たちが竹刀を振る姿がとてもかっこよく見えて私は剣道を習うことにしました。今考えてみれば剣道を始めた理由はとても単純なものでした。それでも初めてすぐの頃は何もかもが新鮮ですごくワクワクした気持ちで練習に参加していました。しかし、道着を着て、防具をつけて練習するようになってから、体育着で練習していた時とは比べものにならないほど動きづらく、剣道の本当の難しさに気づき、次第に練習が嫌になっていきました。その気持ちはだんだんと大きくなっていき、ご飯も喉を通らない時期もありました。それでも私が剣道を続けてこられたのは一緒に練習する仲間がいたからだと思います。練習は辛くても、休憩中や練習の後に仲間と話す時間は辛い気持ちを忘れることができました。そんな仲間のおかげで辛い時期を乗り越えることができたのだと思います。

小学校を卒業するタイミングでスポーツ少年団を辞め、中学からは剣道部に所属することになりました。先輩後輩の関係性など初めて経験することや苦しい練習に逃げたくなることも沢山ありました。しかし、どんな時でも周りを見れば一緒に頑張っている先輩や後輩の姿がありました。辛いのは私だけじゃない。だからもう少し頑張ろうと思わせてくれました。一緒に頑張れる仲間がいたことは本当に幸せなことだったと今になって強く感じています。人間は支え合って生きているというのはよく聞きますが、剣道を通じて感じることがあるとは思いませんでした。

先輩方が引退して自分が部を引っ張る立場になった時、それまでは感じることのなかったプレッシャーを感じ、先輩方の凄さを感じると同時に、ここまで部を引っ張ってくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。また、私が主将になってから、頼りない私についてきてくれた後輩たちにも感謝の気持ちでいっぱいです。

振り返ってみると、私が剣道を続けてこられたのは支えてくれていた人たちのおかげだったと思います。私がどんなに愚痴や文句を言っても、嫌な顔せず毎回送り迎えしてくれた母、私に一から丁寧に教えてくださった先生方、一緒に稽古に励んだ仲間。本当に沢山の人が私の周りで支えてくれていたのだと分かりました。剣道は自分との戦いのような気がしますが、実は周りの人が支えてくれているからこそできるものなのだと気付かされました。私のことを今まで支えてくださった方々、本当にありがとうございました。

神様は私たちに感謝しなさいとおっしゃっています。しかし、ただ指示を出しておられるわけではありません。神様はいつも私たちの近くに感謝できる存在を与えてくださっています。私たちはその存在になかなか気づくことが出来ませんが、感謝の気持ちを持ち続けていればきっとその存在に気づけるはずです。そして、いつもと同じように生活できていることを当たり前だと思わず、いつも支えてくれる人に感謝して生活していけたらと思います。

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