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2020.9.30 / 学校生活 /

放送礼拝 テニス部

コヘレトの言葉 31 

「勇往邁進」これは、昨年度先輩方が部活に設けてくださった活動目標です。勇往邁進とは、自分の目指すものに向かって恐れることなく一心に突き進んでいくことを言います。今年3月、先輩方と一緒に部活が、テニスができていたはずの大切な時間が、今もなお世間を脅かす新型ウイルスによって奪われました。それまでは当たり前だったはずの普通の日常が、ことごとく壊された瞬間でした。

 そんな状況になって初めて部活が普通にできる喜びを知りました。本来なら総体などを経てから引退するはずの先輩方も、ほとんど一緒に活動しないまま、あっけなく代替わりを 迎えてしまい活動を引き継ぐこととなりました。部長を任された今、これまでの先輩方の苦労を思い知っています。中1、中2の時、あまり声出しが出来なかったのを思い出します。その当時の先輩方がどれほどの苦労をなさっていたのか、申し訳なさや何やらでとても歯がゆい気持ちになりました。

 メニューを考えること、部を引っ張っていくこと、技術面の向上。こんなにも責任がのしかかるものなのか、と試行錯誤の毎日に苦しくなってしまうこともありました。「何もかも放棄できたら」と無責任なことまで考えてしまったり。今が私の頑張るべき時なのはわかっているのに、責任から逃れたくなってしまって。そんな晴れない気持ちのとき、私はいつもある先輩の試合を思い出します。

 去年の学年別大会。炎天下の中で2時間近く、強い学校を相手に粘り続けていた姿は、未だに目に焼き付いて離れません。応援している方も立っているだけで汗が出る中、一生懸命ボールを追って、時には決めて。あのとき切実に、この先輩のようなプレーができるようになりたい、そう思いました。あのときの試合は、私の中の目標です。

 頑張り続ける、という言葉の聞こえは素晴らしいですが、実践するのにはたくさんの壁があります。だから、頑張り続けたあの先輩の姿は、頑張っていく上での支えです。粘るプレーができるようになりたい、そのためには今の自分に何が必要か。その課題こそが自分の突き進んでいくべき目標です。私が勇往邁進すべきときは今なのです。

 そう考えると、部活ができる喜びを感じたときも、後悔した時も、悔しかったときも、辛かったときも、全てその時に神様がお与えになった試練であり、聖句にあるような定められた時であったのだと思います。今から学校生活最後の新人戦を迎えようとしています。確実に5年間同級生の仲間と続けてきた部活が引退へと近づいているのを感じています。後悔を残さないように、かつ先輩が私に目標を残していってくださったように、私たちも後輩に良い形のまま部活を残したい。そんないつもより色々な責任が重なった新人戦は初めてです。ですが、やはりこれも私は、与えられた責任を負うべき時であり、後悔しないように努力すべき時であり、仲間と協力して成長するべき時なんだ、そう思っています。人生は選択の重なりだとよく言われます。だからその選択をするべき時にできるように、自分を、みんなを信じて、神様に与えられた時を大切にしていけたらと思います。

 

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