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2020.9.23 / 学校生活 /

放送礼拝 水泳部

ローマの信徒への手紙12章6節~8節

私は1歳の頃から水泳を始め、今年で16年目です。始めたばかりの頃の記憶はありませんが、小さい頃はただ水に入ることが楽しく、何も考えずに楽しんで泳いでいました。しかし、小学2年生の頃に育成コースという、それまでよりも高いレベルのコースに上がり、練習回数も練習時間も大幅に増え、あまりの過酷さに泳ぐことが嫌になっていきました。育成コースに上がる前までは、自分と同じくらいの泳力の人たちと一緒に泳いでいたため、周りと比べることは全くありませんでしたが、育成コースに上がると、県外の大会に何度も出場している人、全国大会を目指している人など、自分とは比べ物にならないほどの実力の人たちに囲まれて、私は初めて挫折を味わいました。自分には才能が無い、あの人たちは才能があって羨ましい、などと思ってしまうことが何度もあり、その頃の私は練習に行くのがとても苦痛でした。

そのような日々が何年か続き、練習にも少しずつ慣れていきましたが、小学2年生の時の挫折からまだ完全に抜け出すことができず、自分には才能がないから、普通の結果で泳げていればいい、というような気持ちでいました。その後、小学5年生の時に私は初めて関東大会に出場し、それがきっかけで育成コースからさらに高いレベルの選手コースに上がることになりました。

選手コースに上がって少し経った頃、「水泳は練習で行ったことがレースに直結する競技であり、その人の努力次第で結果は大きく変わってくる」というコーチの言葉を聞き、その言葉が、私の水泳に対する考え方を大きく変えました。私は、努力してそれが実らないことを恐れていました。そして、才能がないということを努力しないことへの言い訳にしていただけなのだと気付かされ、そんな自分が恥ずかしくなりました。

それからの私は気持ちを改め、必死に努力して、全国大会で決勝に残るというところまで成長することができました。あのコーチの言葉がなかったら私は今でもなんとなく水泳を続けていたか、もしくは水泳を続けていなかったかもしれません。小学5年生までの私は、自分に才能がないと思い込んでいましたが、実際には才能を見つけようとしていなかっただけなのだと思います。

今日の聖書の箇所をもう一度見て下さい。私達は神様から与えられたそれぞれの賜物を持っていると書かれています。賜物とは神様から恵みとして与えられたものであり、それは人によって様々です。誰の賜物が上で誰の賜物が下であるというようなことはありません。そして、その与えられた賜物に気付くことが重要です。自分では気づかなくても、他者によって気付かされることもあります。そして、7節や8節に書いてあるように、専念したり、精を出したりと熱心に取り組むことが大切だと思います。つまり、神様から与えられた賜物を自分のものにしていくかは、自分次第なのではないでしょうか。私も様々な経験を通して自分の賜物に気づくことができました。神様から与えられた賜物を大切にして、今後も努力していきたいです。

 

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